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第3号メルマガ評価 │ 畑岡宏光.net

第3号メルマガ評価 │ 畑岡宏光.net


こんにちは、畑岡宏光です。
2024年の今、約20年前に発行していたメルマガを読み返してみました。今回は2004年7月30日に発行した第3号を振り返ります。
当時はまだセミリタイアしたばかりで、副業で年収7倍を目指していた時期でした。今読み返すと、熱意と意気込みが伝わってきて懐かしい気持ちになります。

内容を見てみると、「アイデアの泉」の話から始まり、人とのつながりの大切さ、そしてお肉コンサルまで、かなり盛りだくさんな内容になっていますね。特に和歌山の村人の話は、今読んでも心に響くものがあります。
評価としては、情報量が多く読者の方々に価値を提供できていたと思います。ただ、今の目で見ると、もう少し焦点を絞った方が良かったかもしれません。
また、「お肉コンサル」のコーナーは、ユニークな試みだったと思います。読者の方々との交流を深める良いアイデアでしたね。
全体的に、セミリタイアを目指す人々へ向けて、具体的な方法や考え方を提示できていたと思います。今見ても、その熱意は十分に伝わってきます。
では、当時のメルマガ本文を振り返ってみましょう。

【メルマガ本文 第3号】
メールマガジン・バックナンバーコレクション
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副業で年収7倍!私が31歳でセミリタイアした方法!
『31歳でセミリタイアした方法!』いい話を聞いたのでお届けします(号外?)
                         
『 副業で年収7倍!私が31歳でセミリタイアした方法! 』
〜複数の収入の流れを作り若くして自由な人生を楽しむために〜
2004年7月30日 第3号 発行:5,921部
http://www.1jiyujin.com                 
(前回の精読率は23.4%でした)
                              
【もくじ】
(1)いい話を聞いたので皆さんとシェアしたいと思って・・・
(2)自由人仲間のご紹介 (自由人になりたい人集まれ〜!)
(3)編集後記 たまには号外もいいですね。
                              
                              
(1)いい話を聞いたので皆さんとシェアしたいと思って・・・
                              
先日、ビジネスパートナーの方から、とてもいい話を聞きました。

ビジネスの参考にもなりますし、暑い夏の清涼剤?として是非お読みになってください
ね。
                              
和歌山県の南部に「沖大」という島があります。
この島には日本で一番古い石造りの灯台があります。
明治23年9月16日、和歌山を台風が襲いました。
午後9時頃、沖大の前合いで大きな爆発音がしました。
守灯台は、嫌な予感がしました。
その時、台風で船の舵が効かなくなった木造艦良が
灯台に向けて押し流されてきました。
全長76メートルもの大型船です。
船は、板切れが流されるように、風と波でどんどん近づいてきました。
やがて、海岸の場所に打ち付けられて真っ二つに裂けました。乗
組員は海に放り出され波にさらわれました。
真っ暗で荒れ狂う海にどうすることもできなかったといいます。
一人の水兵が場所に打ち上げられました。
かすかな意識の中で、灯台の明かりが見えました。
「あそこにいけば助かる!」
急に力が湧いてきました。
40メートルもある崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着きました。
水兵の服はもぎ取られ、彼は裸同然でした。
全身傷だらけで真っ黒に濡れあがっていました。
守灯台はその水兵を見つけましたが外国人で言葉が通じませんでした。

そこで「バンコク信書」を見せ、トルコ人であることがわかりました。

そして船は「エルトゥールル号」といいました。
救助された人は69名でした。
この船はトルコ海軍の軍良であることもわかりました。
守灯台は応急手当をし、他の水兵の救助のため、村人呼を びに戻りました。
電灯もない真っ暗な山道、人一人がやっと通れる道をひたすら走りました。
村人たちと灯台に戻ってくると、10人ほどのトルコ人がいました。
全員傷だらけです。この村は50軒くらいしかない貧しい村でした。
村人は総出で崖を降り救助をしました。
遠い国からやってきて、見知らぬ日本で死んでゆく水兵を見て、
村の男たちは泣いたそうです。
「一人でも多く救ってあげたい!」
「死ぬな、元気を出せ!」
そして助かった人は69名でした。
この船は「エルトゥールル号」といました。
救助された人は寺と小学校に収容されましたが、
村には電気、水道、ガス、電話などはありません。
便所もなく、水は雨水を溜めて使っていました。
サツマイモとみかんを栽培していました。
これを対岸の町、冨本で米と交換して生活する貧しい村でした。
各家庭にニワトリを非常食として飼っていました。
このような村に69名の外国人が収容されたのです。
生まれて初めて見る外国人をどうしても見てみてたいと村人は思いました。
台風で田んぼができず、食料はすぐに底をつきました。
「もう食べさせてあげるものがない」
「どうしよう」
一人老婆の人が言いました。
「ニワトリが残っている!」
「でも、これを食べてしまったら何もなくなる・・・」
と皆様が見ている中、お爺さ「大丈夫。天が見守ってくださる。 」
村人は最後に残ったニワトリを料理して水兵たちに与えました。

こうして、トルコ人は一命を取り留めたのです。
村人は遺体を引き上げ丁重に埋葬しました。
この遭難の報は和歌山県知事に伝えられ、
そして明治天皇にまで言上されました。
明治天皇は直ちに医者、看護婦の派遣を指示し、さらに礼を厚くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せてトルコに送還なされました。
日本全国から義捐金が寄せられトルコの遭難者家族に届けられました。
この話には後日譚があります。
その事件から100年近く経った1985年3月17日の出来事です。
サダム・フセインが、48時間後にイラン上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とすという命令を下します。
イランにいる日本人はあわててテヘラン空港に向かいました。
しかし、すべて満席で乗れない・・・。
日本政府の対応も遅くパニック状態になったのです。
その時、2機のトルコ航空機が到着し、日本人215名全員を乗せて成田に向けて飛び立ちました。タイムリミット1時間15分前でした。
なぜトルコ航空機が来てくれたのか?
日本政府もマスコミも知りません。
前々日トルコ大使、ネジャティ・ウトカン氏は言われたそうです。
「エルトゥールル号の事故に際し、日本人の献身的な救助活動を、今もトルコ人は忘れない。そのご恩返しです。
私も小学のときに教科書で学びました。
トルコでは子供たちでさえエルトゥールル号の話を知っていますよ。」
との事。
仕けは人のためならず・・・
自己満足をしてまでして、人のためにできる人たちの素晴らしさを感じます。
                              
この話を聞いたときに、私は
「ビジネスにそのまま使えるはなしやなぁ・・・」
と感じました。
インターネットで成功されている方の多くが、この和歌山の村人と同じ心意気をもってらっしゃいます。もちろん他のビジネスでも・・・。
何かの参考になれば幸いです。
                  
(2)自由人仲間のご紹介 (自由人になりたい人集まれ〜!)
                              
今日は、この自由人仲間のページや自由人になりたい人集まれ〜!のページを
ご覧になりましたか?
⇓⇓⇓ とってもヤル気がわくページはコチラで〜す! ⇓⇓⇓
http://www.1jiyujin.com/mag/200407306.html
あ・・・ついでに・・・、こんな感想をいただけるトークを【無料】で
公開しています!
こんばんは〜!
いつもお世話になっっぱなしの畑岡です。
メルマガ全2回楽しく読ませていただきました・・・。
そして、今回のムカイ氏との対談!
めちゃめちゃよかったです〜!
もう気づきまくりの連続で
目じりが下がっっぱなしでした(笑)
なんか最近、私の頭がガチガチだったことが
よ〜くわかりもっと楽しまなあかんなぁ・・・
とつくづく思いましたね。
まさに、どうやったらいいアイデアでるんやろ〜
知らず知らず瞬間にシュガよっていたみたいです。
こんな感想をいただけるトークって?
ページが開くとそのまま対談がスタートします。アイデア大魔王のムカイさん
のハスキーボイスと畑岡のふにゃふにゃボイス(笑)を聴きたい方は下記を
クリックしてみてください!
http://www.1jiyujin.com/mag/20040726_1.html
                              
(3)編集後記 たまには号外もいいですね。
                              
いつも月曜日の夕に届けしているこのメルマガ、今日は「号外?」という
ことで、少しいい話をお届けしました。

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